Scene 1:ツンデレとオジサン、秘密の契約
放課後の静かな準備室。
窓から差し込む光が、木の机と資料棚に淡い金色を落としていた。
「……お、おっさん。ちょっと、いい?」
教室のドアから、そっと顔を覗かせたのは金髪の少女――立野雫。
そのツンと尖った声と、妙に赤い頬がいつもより印象的だった。
「ん? どうしたの、雫さん。補習の予定はなかったはずだけど?」
「べっ、別にアンタと話したくて来たんじゃないしっ!……けど、その……相談があって」
「ふむ……よければ座って?」
「い、いい!立ったままで話す!座ったら……なんか変な空気になりそうだから!」
NAGOMI先生は肩をすくめて笑う。
「そう? じゃあ、その相談って?」
「……あ、あのね……」
雫は唇をぎゅっと結ぶと、制服の裾を握りしめ、まっすぐ彼を睨んだ。
まるで勝負でも挑むような気迫だった。
「……アンタ、最近やたら女子にモテてるって、自覚ある?」
「……えっ?」
「“えっ?”じゃないでしょ、おっさんのくせに! 新入生のアンケートでも、人気ランキング1位とか聞いたし……何考えてんのよ、ほんとに……!」
「……う、うん? いや、特に何も……」
「それが問題なのよっ!!!」
雫は机をばんっと叩いた(手、ちょっと痛い)。
「だから……あたしが、その……ちょっと練習付き合ってあげる」
「練習?」
「い、言わせないでよ恥ずかしい……っ! アンタの彼女役よ! 放課後限定、週1契約!そ、そういうのあるじゃない、“レンタル彼女”ってやつ!」
NAGOMI先生はぽかんとして、しばらく黙り込む。
その沈黙がつらくて、雫は早口で言い添えた。
「べ、別に“幼な妻候補生制度”の正式プログラムってわけじゃないけど……あたしも外部推薦でこの学院に来た以上、ちょっとは馴染まないとって思ってるの。実践的に……こういうのも、アリでしょ?」
「……なるほど。つまり、これは“疑似パートナー”としての練習ってことか」
「ち、違っ……!べ、別にアンタが好きとかじゃないし!? あたしが変わりたいだけで! 自分の気持ちを伝える練習っていうか、そういうことなのよっ!!」
雫の耳は真っ赤。もう湯気が出そうなくらい。
だけど、瞳は――真剣そのものだった。
NAGOMIはゆっくりと眼鏡を外し、雫を見つめた。
「……うん。なんだか面白そうだねっ」
「へっ!?」
「じゃあ、僕も勉強させてもらおうかな。“恋人のフリ”ってやつ」
「お、おっさん……今、ちょっとカッコつけたつもり?ぜっっっったい勘違いしないでよね!? そ、それ以上優しくしたら……本当に好きになっちゃうかもじゃない……っ!」
NAGOMIは「え?」という顔のままフリーズした。
――こうして始まった、“放課後限定レンタル契約”。
不器用すぎる少女と、無自覚ジゴロのオジサマ講師。
二人の距離は、恋人のフリから、じわりじわりと変化していく。
Scene 2:デートは金城公園、そして茶室地獄!?
土曜の午後、金城公園。
新緑がゆれる春風の中、ベンチに座っていたNAGOMIは、ちらちらとスマホを見ながら、落ち着かない様子だった。
「……おまたせっ」
パタパタと駆けてくる制服姿の雫。
でも、今日はいつもの制服ではなく――ふわっとした春色のスカートに、白いブラウス。ほんのり口紅までしている。
「……雫さん、すごく似合ってるね」
「っ……バカっ、そういうこといきなり言うなっての!!レンタル代に“褒め代”は含まれてないんだからっ💢」
「あ、ご、ごめん……!」
雫はぷんすかしながらも、明らかに耳が真っ赤だった。
ふたりは公園内を並んで歩く。
(やっぱり、雫さん……じゃなくて、雫、かな?)
ふと、NAGOMIはそんなことを思った。
名前で呼ぶ――ただそれだけのことが、どうしてこんなに大きく感じるのだろう。
「ねぇ、おっさん。さっきから黙ってるけど、なんか考えてんでしょ」
「え……いや、なんでもないよ、雫」
「――っ」
一瞬、雫の足が止まる。
「な、なに今の……」
「え?」
「い、今、名前……呼び捨て……したじゃん……っ」
「……うん。なんか、そういう雰囲気だったから」
「バカっ!! そういうの、レンタル彼女には追加料金発生するからっっ!!」
「え!? そうなの!?」
「当然でしょっ!“呼び捨てオプション”は500円ねっ!! それか……次のデート、奢りね」
「そんな細かい設定あるの……?」
「当たり前でしょ、おっさんは“お客様”なんだから」
(※ツンデレ設定の“レンタル彼女”にマジレスしてはいけません)
「で、今日のデート先はどこなのよ。まさか公園歩いて終わりとか、そんな手抜きプランじゃないでしょーね?」
「ふふふ……実は、あっちに“茶室”があるんだよ」
「……は?」
「せっかくだから、“和”な雰囲気でお抹茶でもどうかな、って」
「……ちょ、ちょっと待って、茶室って、あの正座して静かにするやつ……?」
「うん。そうそう」
「……絶対ムリ……っ」
🍵そして、茶室
「い、痛っ……ムリムリムリムリムリ……っ!」
畳の上でぷるぷるしながら、無理やり正座を続ける雫。
「雫、大丈夫?もうちょっとでお点前始まるけど……」
「だ、大丈夫なわけあるかっ💢! 足の感覚ないし! そもそもなんで茶室なのよっ!!」
雫が正座で限界を迎えかけた時、NAGOMIはさりげなく席を立って「あの、この茶室の歴史について少し質問してもよろしいですか?」と亭主に話しかけた。
亭主が嬉しそうに立ち上がって説明し始めると、その間に雫は足を崩して休めることができた。
「……おっさん、わざと?」
「なにが?」
「……なんでもない。……でも、あ、ありがと……」
茶会が終わった後、亭主が「あのお嬢さん、最初は辛そうでしたが、最後まで頑張られましたね」と褒めた時、NAGOMIは「彼女、何事にも真剣なんです。そういうところが素敵だなって思います」と返した。
その一言を聞いた雫の心臓が、ドクンと跳ねた。
「そ、それで好感度アップ狙ってんの!? 無自覚タラシすぎるのよおっさんっっ!! もう追加料金取るからな!? 正座地獄代、3,000円!!」
「た、高っ!!」
「しかもアンタのせいで恥かいた分、心の慰謝料も乗せてやるんだからっ……! べ、別に嫌いじゃないけどっ……」
「……今、なんか言った?」
「な、なんでもないっ!!」
――“契約”から始まった関係なのに。
今日の雫は、いつもよりずっと、楽しそうだった。
NAGOMIもまた、そういう雫の表情に、ほんの少し胸が熱くなるのを感じていた。
Scene 3:びしょ濡れのドルフィンスイムと、天使のぬいぐるみ
「おっさんっ、早く早くっ!!」 更衣室から飛び出してきた雫は、ジャージの上着姿だった。中には――お気に入りの白と水色のフリル付きビキニを着ている。
「……っ、どう? 似合ってる?」
「うん、とても可愛いよ」
「そ、そう……じゃあ、いいや」
待機エリアではウェットスーツの配布が始まっていた。 参加者たちは順番にサイズ合わせをしていく中で、スタッフの説明が始まる。
「では、ジャージを脱いでウェットスーツを着用してください」
雫がジャージを脱ぐと、フリルのついた可愛らしいビキニ姿が露わになった。 周囲の参加者たちの目が、一瞬、雫に集まる。
「ねぇ、あの子の水着……なんかすごくない?」
「フリルとか、ちょっと子供っぽくない?」
「でも、男の人ってああいうの好きなんでしょ?」
「私なら、恥ずかしくて着れないわ~」
ひそひそと聞こえてくる声。雫の顔が赤くなっていく。
(……っ、なによ……好きで着てるだけで……別に……っ💢)
手で体を隠そうとする雫。けれど、余計に目立ってしまう。 視線が痛い。居場所がない。泣きそうになる。
そのときだった。
「あ、雫。このポンチョ、スタッフさんから借りてきたよ」
いつの間にか隣に立っていたNAGOMIが、ふわふわの大きめのタオルポンチョを差し出した。
「濡れると体が冷えやすいから、着替えるまで羽織っておくといいって。ほら」
まるで何も気づいていないような、自然な口調。 雫の肩にそっとポンチョをかけ、前をきちんと合わせてくれる。
「これ、すごくふかふかだね。暖かいでしょ?」
(……先生、気づいてた……でも、気づいてないふりして……っ💦)
周囲の視線から守られたことで、雫は深く息をつく。 NAGOMIは雫の隣に立ったまま、他の参加者たちに穏やかに話しかけた。
「皆さん、初めてのドルフィンスイムですか? 僕らも緊張してます」
その何気ない会話で、周囲の注目が分散していく。 雫は、ポンチョの下でぎゅっと拳を握りしめた。
(……なんなの、この人……) (見た目は普通なのに……気の利いたセリフも言えないのに……) (でも……誰よりも、あたしのこと、守ってくれるんだ……💓)
その瞬間、雫の胸の奥で静かに火が灯った。 恥ずかしさと感謝と、それ以上の何かが混ざり合って、心臓がドクドクと高鳴る。
「……ありがと、おっさん」
小さく呟いた雫の声は、周囲の騒音にかき消された。 でも、それでよかった。 今の気持ちは、まだ言葉にできない――
「さ、そろそろウェットスーツ着ようか。手伝おうか?」
「べ、別にいいっ! ひとりで着れるしっ💢!」
そう言いながらも、雫の頬は赤く染まったままだった。 この日から、雫の中でNAGOMI先生への想いが、確実に変わり始めていた。
インストラクターの案内にしたがって、ふたりはイルカ専用プールの縁からそっと入水。
水温はほんのり冷たくて気持ちいい。雫はぷかぷか浮かびながら、周囲をキョロキョロ。
「き、来た来たっ!!見ておっさん、イルカだよっ!」
大きな瞳のイルカが雫のもとへ近づいてきて、ひとまわり、くるんと回る。
「……わ、わわっ!? えっ、ちょ、ちょっと……!」
イルカが、雫の腰のあたりに鼻先をちょんっと当てて――そのままつるんと後ろへ押した!
「きゃーーっ!?!? ちょっ、あ、あぶなっ、こ、こけるってばっ!!」
「雫、大丈夫!?」
「こ、この子、ぜったいワザと押したぁっ💢 いじわるぅ〜っ!!」
そんなやり取りに、インストラクターが笑って言った。
「この子、ちょっとおてんばなんです。でも、気に入った人にしかイタズラしないんですよ〜」
「なっ……なによそれ……ちょっと、かわいいじゃん……♡」
イルカの背びれにそっと触れて一緒に泳ぐ雫。
水の中をすいすいと進んでいくその様子は、まるで人魚みたいだった。
「おっさんっ、見て見て〜っ!! イルカと一緒に泳いでる〜〜♡ たーのしーっ!!」
NAGOMIのそばに戻ってくると、ふいにその手を握って、ぐいっと引っ張る。
「さ、今度はふたりで一緒に泳ぐのっ!! 手ぇ、ちゃんと離さないでよね!」
「う、うん……(なんか、すごく雫が輝いてる……)」
水中をすいすいと泳ぎながら、イルカと並ぶ雫。
その瞳はキラキラと輝き、口元にはずっと笑みが浮かんでいた。
その瞬間――
イルカがふいに進路を変え、雫の目の前にすっと顔を寄せた。
「え、なに?」
と思う間もなく、**ちょん――**と、
鼻先が水中でそっと、雫の頬に触れた。
まるで、軽くキスをするように。
「…………っっ♡♡♡」
雫の全身に、ビリリと電流が走る。
(えっ!? いま……いま……キスされた!? イルカに!?)
「い、い、い、いまのなにぃぃぃぃっ!?!?!?」
泡をぶくぶくと立てながら、水中でバタバタじたばた慌てる雫。
「雫、大丈夫!?」
「だ、大丈夫なわけあるかーっ!!不意打ちキスとか、動物のくせに恋愛上級者かよっっ!?💦」
心臓はバクバク、顔はぽっかぽか。
(な、なにこれ……あたし……イルカに……キ、キス……っ!?)
「そんなに動揺して……ふふ、でも嬉しそうだよ?」
「ち、ちがっ……!う、うれしくなんかないもんっ!!こ、こっちは……ふ、不純接触は罰金なんだからねっ!!あーもう……顔、熱っ……!!」
その後、雫はそわそわしながら館内の売店を歩いていた。
身体は冷えているはずなのに、頬だけはずっとぽかぽか熱い。
(……なにあれ……イルカにキスされて、こんなに心臓ドキドキとか、意味わかんないし……っ)
(いきなり触れてきて、押してきて、キスまで……もうっ、動物って空気読まない!!)
小さく肩をすくめながらも、心の奥がざわざわして仕方なかった。
(……もっとこう、優しくて、あったかくて、抱きしめたらホッとするような……)
「……あ……」
雫が、目をまんまるにして立ち止まる。
その視線の先にいたのは――真っ白なごまふあざらしのぬいぐるみ。
おとぼけ顔でこっちを見てる。
「こ、この子なら……ぜったい不意打ちチューとかしない……かも……♡」
雫はその場から一歩も動けなくなった。
そのとき、そっと背後から現れたNAGOMIが声をかける。
「……これ、欲しいの?」
「……っ、ほ、欲しくなんか……ないしっ!!」
即答した。
けど、その手は――しっかりと、ぬいぐるみの耳を、やわやわと撫でていた……。
「雫、ちょっとここで待っててくれる?」
「へ? ……な、なによ、急に?」
「すぐ戻るから。ちょっとだけ」
そう言って、先生はニコッと笑いながら売店の奥へ消えていった。
(……な、なんなの? 急に。ま、まさか……)
雫は胸の奥が、なぜかざわざわと落ち着かない。
(お土産でも見てるだけでしょ?勘違いしないでよねっ……)
けれど――戻ってきたNAGOMIの手には、真っ白でふわっふわのごまふあざらしのぬいぐるみがあった。
「……これ、さっき雫が見てたやつだよね。ほら、濡れて冷えた体を少しでもあったかくできたらって」
「――――っ!」
目の前に差し出されたそのぬいぐるみ。
優しい瞳で微笑むNAGOMI。
もう、雫の心臓は限界だった。
「……っ、ば、ばっかじゃないのっ……! そ、そういうの……ずるいんだから……っ」
雫は受け取ると、思わずぬいぐるみをぎゅ~~っと強く抱きしめた。
「うわぁ……ふかふか……っ。……もぉ、ほんと……やばい……っ」
俯いて、ぬいぐるみに顔を埋める。
口元は緩みっぱなし。でも、先生には見せられない顔だった。
(……だ、だいしゅきっ……だいしゅきだよ、バカおっさん……)
その想いがあふれてしまいそうで――雫は、無意識に口を開いた。
「……よちよち、ごまちゃん♡ おっきいねぇ~えらいねぇ~♡ 今日から雫のおともらちでちゅよ~♡」
「えっ?」
「ごまちゃん、おっさんからもらったんでちゅよ~♡ うれちいでちゅね~♡ えへへ……♡」
「え……ええっと……雫?」
「ちがっ!! 今のはっ!! これはっ! ごまちゃんとだけの秘密なのっ!! 聞くなっ! 忘れろっ!! 脳から消せっ!!💢」
「ご、ごめんっ……でもなんか可愛すぎたから……」
「ぬぬぬ……っ、もぉ~~っ!!」
雫は顔を真っ赤にしながら、ぬいぐるみに顔をうずめたまま、しばらく動けなかった。
帰り道。夕暮れの色が、二人の影を長く伸ばしていた。
NAGOMIはふと立ち止まり、空を見上げながらつぶやいた。
「……今日は楽しかったね」
「……うん、楽しかった」
雫も、ごまちゃんをぎゅっと抱きしめながら、小さく頷いた。
けれど――そのまま、彼女はふいに、足を止めた。
「ねえ……おっさん」
「ん?」
「今日……その、ぬいぐるみ、くれて……ありがとう」
「ううん、喜んでもらえてよかったよ」
「……あのね」
雫は、ごまちゃんをそっとバッグにしまい、顔をあげた。
「お礼……したいの」
「え? いいよ、そんなの――」
「よくないのっ!!」
突然の強い声に、NAGOMIは一瞬きょとんとする。
雫の頬は真っ赤。唇をぎゅっと噛んで、目は涙ぐみそうなくらいに真剣だった。
「今日……あたし、すっごく幸せだったの……だから、その、わ、わたしの……」
そして――
「わたしの、ファーストキス……あげるっ!!」
「――――っ!?」
その瞬間、雫は一歩踏み出し、NAGOMIに寄り添うように、つま先立ちになった。
目を閉じる。
触れたのは、ほんの一瞬だった。
でもその一瞬で、世界が止まったように感じられた。
「……っ、うわああああ!! し、しちゃった!!しちゃったよぉおお!!💦」
キスの直後、雫は顔を真っ赤にしてしゃがみこんだ。
「な、なに今の!? ま、まさか、本当にあたし、ファーストキス……!」
「し、雫……大丈夫?」
「だ、だいじょばないっ!!心臓ばくばくで、おっさんの顔見れないぃぃ……っ💦」
彼女は顔を両手で隠しながら、ふるふると震えた。
(……でも、後悔なんかしてない)
(だって――)
(あたし、キスって“愛してる”ってことだと思ってるから)
(ごまちゃんと、おっさんと、3人で、いつか一緒に暮らせたら……なんて、思っちゃうくらいには、だいしゅき)
(だから……)
(このキスが、全部のはじまりになったら――いいな)
その晩、雫は布団の中でごまちゃんを抱きながら、ずっとふわふわと夢見心地だった。
「……キス、しちゃったね、ごまちゃん……♡」
「……次はね、手、繋いで帰りたいな……指、からめて……えへへ……」
恋する少女の夜は、まだまだ終わりそうになかった。
Scene 4:“彼氏”じゃないのに、キスしたくなるなんて
――それは、水族館デートからちょうど一週間後の夕暮れ。
制服姿の雫は、駅前の小道で待っていた。
春の風がスカートの裾を揺らす。けれど、彼女の心は、それよりもずっと強く――ざわついていた。
(……今日こそ、ちゃんと伝えたい。ごまちゃん、見守っててね)
雫はそっとバッグのファスナーを開けて、中を覗き込む。
「……ごまちゃん、ちゃんといるよね。今日も一緒だよ」
白くてふわふわのごまふあざらし。彼女の大切な、恋の見守り役。
頬をぬいぐるみにすり寄せ、小さく囁く。
「今日ね、雫、ちゃんと“本当の恋人”になるから……あなたにも、もうすぐ妹か弟ができまちゅからね……えへへ……♡」
自分でも何を言ってるのか、わからなくなるくらい。
でも、雫の胸の中は確かに“幸せ”でいっぱいだった。
そのあとすぐ、駅前にNAGOMIが現れた。
「お待たせ、雫」
「っ……!」
呼び捨て。
たったそれだけのことなのに、胸がドクン、と大きく跳ねた。
「今日は、ちょっと話があるんだ」
「……あたしも、ある。だから……どっちが先に言うか、勝負」
二人で並んで歩いたのは、静かな公園の並木道。
日が落ちかけた空に、桜の花びらがちらちらと舞う。
しばらく沈黙のまま歩いて、ベンチに腰を下ろすと、
雫がふっと先に口を開いた。
「……ねえ、“付き合う”って、どういうことだと思う?」
「どうって……」
「キスしたら結婚するものだって、あたし、ずっとそう思ってた。……笑わないでよ」
「笑わないよ」
「……だから、もし“彼氏のフリ”でもキスしたら……それって、ずるいでしょ」
「雫……」
「――あたし、本気で、アンタを好きになったから。“フリ”じゃなくて、“本物”になりたいって思ったから、キス……したんだよ」
NAGOMIは、何も言わずに立ち上がると、真っ直ぐ彼女の前に立った。
そして、静かに――語り始めた。
「雫、僕は……正直に言うと、まだ“誰かひとりだけを愛する”って感覚に自信がない。今も、君以外の子たちとも関係を持ってる。それは、事実だ」
雫の瞳が、少し揺れた。
「でも、それでも君とキスをしたのは、君が“特別”だからだよ。僕にとって、“初めて心が揺れた”相手が――雫だったからだ」
「…………」
「これまでの僕は、誰かのことを“守りたい”と思ったことなんてなかった。でも、君だけは違った。君の気持ちを、泣かせたり、裏切ったりするようなことは、絶対にしたくない」
「…………」
「――だから、雫。君を本気で大切にする。どんなに時間がかかっても、他の誰でもない、君を選べる自分になるから。……僕に、その覚悟を、持たせてくれたのは君だけなんだ」
雫はしばらくの沈黙のあと、ぎゅっとごまちゃんを抱きしめるように両腕を握って、小さく笑った。
「……バカおっさん、今の……ちょっとだけ、かっこよかったじゃん」
「……ありがとう」
雫は、そっと目を閉じた。
「……もう一回、してみる? キス」
「え……い、今!?」
「うるさいっ、するの。もう、彼氏なんだから」
2度目のキスは、最初よりもずっと、やさしくて、深かった。
そして――もう“フリ”なんかじゃない。雫の想いも、NAGOMIの覚悟も、確かにそこにあった。
その夜
――部屋に響く、かすかな吐息と小さな水音。
雫はベッドの上で、膝を曲げて座り、足の間で指を動かしている。
その目はとろんとしていて、まるで夢の中にいるよう。
「……っ、ん……っ」
唇を噛みながらも漏れる小さな声。右手は、布越しに敏感な部分をゆっくりと撫でて……時折、少し強く押してみたりする。
「……ぁ…NAGOMI……先生……っ」
初めてのキスの感触がよみがえる。
甘い気持ち良さに体が震える。でも、それ以上に――心がぽかぽかと暖かくて仕方なかった。
「ん……っ、あ、あっ……」
雫の指は徐々に激しくなっていく。下着が湿り気を帯びて、くちゅりと音を立てる。
「……NAGOMI……先生……っ」
雫はごまちゃんをぎゅっと抱きしめて、その匂いを吸い込む。
そして――ついにその時が来た。
「っ……ん、あぁっ……!」
雫は大きく体をのけぞらせる。同時に、熱いものが下着の中に広がってゆく。
胸が苦しい。
息ができないくらい、想いがあふれて止まらない。
(先生……)
雫はごまちゃんをぎゅっと抱きしめたまま、静かに目を閉じる。
(NAGOMI先生が好き……大好き……)
(ねえ、先生。なんであんなに優しいの?)
(なんであんなに、あったかい目で見てくれるの?)
(……ちがう。知ってる。優しいだけじゃない。先生、ずるいんだよ)
(雫がちょっとふくれたら、困ったように笑って)
(雫が黙ったら、そっと隣にいてくれて)
(――そんなの、好きにならないわけないじゃん……バカ)
(キス……しちゃったね)
(もう、後戻りなんて……できないよ)
雫は、ごまちゃんの毛並みに頬をうずめて、小さく囁く。
「……雫、どうしちゃったんだろ……」
「……先生のこと、考えてると、なんか胸の奥がじんじんするの……」
「会いたいって、思うたびに、苦しくて、くすぐったくて……でも、幸せなの」
目尻がほんのり熱くなった。
「先生の彼女になれて、よかったなぁ……」
(……だめだ。これ……この気持ち……)
(誰かに言いたい。伝えたい。だけど、誰にも言えない……)
(……あっ)
スマホを手に取った。
LINEのトーク画面。
“先生”という名前のチャットルームが表示されている。
(……ちょっとだけ……文字にしてみるだけ……!送らなきゃいいんだから……っ)
雫はスマホに指を走らせた。

……先生
今日もずっと、先生のこと考えてました
会いたくて、会いたくて、どうしようもないよ
キスも……何回も思い出して、胸がぎゅーってなるの
……だいすきです
ほんとに……だいすきです
打ち終えた瞬間、指が滑った。
ポンッ
「……え?」
送信完了
「――――っっ!?!?!?!?!?!?」
一瞬で血の気が引いた。
「ちょ、まっ、待って!? 違っ……!今の、下書きのつもりだったのっ!!」
「キャンセル!取り消しっ!バックスペース~~~~っっ!!💦💦💦」
震える指で削除ボタンを探す。
だが既読は、すぐそこに迫っている……!
「ごまちゃんっ!!ああああああああああっ、やっちゃったぁぁぁぁぁぁ!!!💢💢💢💢」
ぬいぐるみに顔を埋めて、ベッドの上をゴロゴロ転がる雫。
(せ、先生、どんな顔で読むの……!? もうダメっ!明日学校行けないっっっ!!)
「……ううっ、ばか……雫のばかぁ……」
でも、どこかで――ちょっとだけ、嬉しいと思ってる自分がいた。
(だって、本当に好きなんだもん……。先生のこと、世界で一番――)
この恋のゆくえは、誰にもわからない。
だけど今夜だけは、恋する少女の胸のなかに、確かに“幸せ”が満ちていた。
🐾エピローグ
数日後、午後の職員室。
静まり返った空気の中、NAGOMIは報告書をまとめていた。
ふと気配を感じて顔を上げると、そこには渚先生。
スッと歩み寄ってきて、彼の机の端に手を置いた。
「……最近、先生の表情が柔らかくなりましたね」
「え?」
「なんていうか、雰囲気が、少し……幸せそう」
NAGOMIはペンの動きを止めた。
そのまましばらく視線を伏せてから、穏やかに答える。
「……そんな風に見えるなら、君のおかげだよ」
「……ほんとに?」
その声は笑っているようで、笑っていなかった。
「じゃあ、雫さんとの帰り道、あれは何だったんですか?手、繋いでたでしょう」
「……見てたんだね」
「ええ、“偶然”通りかかっただけですけど」
小さな静寂が落ちた。
渚は少しだけ視線を横に逸らし、それからふっと息を吐いて呟く。
「先生は……私に“人生を支える存在になりたい”って言ってくれましたよね」
「……ああ」
「そして、茉里絵さんには“結婚しよう”って、言ったんですよね?」
その言葉に、NAGOMIは肩を少し震わせるように息を呑んだ。
「……そうだね」
「じゃあ、今度は雫さんですか?」
一瞬、NAGOMIは何も言えなくなった。
だけど、彼女はそれ以上の詰問をしない。ただ、静かに――
「……先生が誰に惹かれようと、誰を選ぼうと、私は先生を信じるって決めました。
あのとき、茉里絵さんの存在を知っても、私は受け入れるって言った。
だから今回だって、そうするべきなんでしょう、きっと」
「渚……」
「でもね、先生」
彼女は笑顔を崩さずに、すっと距離を詰めた。
その瞳は、まっすぐだった。
「信じることと、傷つかないことは、まったく別の話です」
その言葉には、静かな怒りと、そして強さが込められていた。
「先生がどんなに誠実に想いを返してくれても、
新しい誰かと“また”深い仲になるたびに、私は……
どうしても、自分の場所が少しずつ後ろに押しやられていくような気がしてしまうんです」
「……そんなつもりじゃない」
「わかっています。でも、気持ちって……そう単純に割り切れるものじゃないでしょう?」
彼女は静かに微笑んだ。
「だから、せめて覚えておいてください。私が“共有”を選んだのは、
先生が一人ひとりに、真剣に向き合ってくれると信じているからです」
「……ああ」
「でも、あまりにも早く別の誰かと“心”を通わせてしまうようなら……」
彼女は一歩引いて、背筋を伸ばしながら言った。
「……私、我慢できるかどうか、ちょっと自信がありません」
NAGOMIは言葉を失いながらも、彼女の強さと繊細さに目を奪われていた。
そして、机の上に置かれた数枚の婚姻届――
それぞれに違う名前が書かれたそれを前に、NAGOMIはしばし目を閉じ、深く、深くため息をつく。
「……こんな制度、なければよかったのか……それとも……」
ペンを握る指先が、そっと震える。
この国の特例制度は、やさしい願いも、罪深い優しさも、同じように受け入れてくれる。
だからこそ、選ぶ重さは変わらないのだ。
ラブコメ劇場、まだまだ終わる気配はない。
そして、誰かの“本気”が、またひとつ揺れ始めていた。
🌸チューエル淑女養成学院 第12話 完🌸